教科書の性質というものを考えてみると、教科書に載せた有名人が、スキャンダルで転落したりすると、刷り直しになるのがコストなので、
とにかくやりなおしがしんどい
ということになる。
よって、歴史の風雪に耐えたものを取り扱いため、30年前の通説とかが載っていたり(最新の学説とか争いが多いものは取り上げるのが怖い)、とにかく「間違いをつっこまれない」ようなコンサバに走ったりする。
文句をつけられたくないので、
1185年に鎌倉幕府が確立(諸々の権利獲得)、1192年に征夷大将軍に命じられた
みたいな話をぐちゃぐちゃと書かれていて、「結局、いつなんや?」みたいなよくわからない感じになってる。曖昧というか、「文句言われないように関連することは全部書いとけや」みたいな記述になっていたりする。
まずこういうところが教科書的。
最新の研究成果を盛り込みたい執筆者と、波風を立てたくない現場の教員・文部科学省の指導要領との間で妥協が繰り返され、文章が分かりにくい。
シェアを落とさないよう文科省の検定を「一発通過」することを目指すため、政治的に議論のある部分は徹底的に文章がボカされ、無味乾燥な事実の羅列。
歴史の因果推定は難しいので、「なぜその事件が起きたのか」という歴史のストーリーや因果関係が省略されるため、受験生にとっては「丸暗記するしかない苦痛な読物」に。
東大は、進振りがあるまで、1〜2年は教養をさせることからもわかるように、「ユニーバーシティ」の自負がある。つまりユニバース。よって歴史を取り扱う際にも、歴史を概観できるようにする。ところが、世の中の大学はかなり専門家が蛸壺化していたりする。歴史の中でも、かなり専門が分けられていたりする。
当然、こういう連中のツッコミ能力は凄いので、やはりこれらに耐えられるような設計になるとどうなるかというと、やっぱりよくわからないものになる。
後、世界中、歴史とは
自国にとって都合よく教育すること
でもあるので、教科書検定制度は事実上の検閲。過去には「侵略」から「進出」への書き換え指示など、政府の意向が検定に強く反映されることが問題視されてきた。中国や韓国などとの外交摩擦を避けるため、日本の加害責任に関する記述が曖昧になる傾向。政治的な閣議決定や文科省の指摘により、「従軍慰安婦」や「強制連行」などの用語が突然削除・変更されることがあり、教育現場に混乱をもたらす。
一方で、東京大学などの国公立・難関私立大学は、歴史の本質的な理解を問うため、教科書がボカしている「政治的に際どい部分」や「最新の歴史学の議論」を記述式問題などで容赦なく出題。
高校の教員は「教科書通りに教えると大学入試に落ちる、しかし教科書を逸脱すると検定の趣旨や学習指導要領から外れる」というジレンマに直面。
かつて実教出版の日本史教科書に、「一部の自治体では、公立高校の卒業式等で国旗掲揚・国歌斉唱を義務付ける動きがあり、これに対する反発や裁判も起きている」という、客観的な事実(ニュースで報じられていること)を記述。これに対し文科省は検定意見をつけ、修正を強要。さらに、当時の神奈川県や大阪府などの教育委員会が「実教出版の教科書は不適切であるため、県立高校では採択しないように」と現場に圧力をかけ、実教出版は一気にシェアを失う。これを見た他社は、「少しでも踏み込んだ記述をすると、検定で目をつけられ、政治的に炎上して会社が倒産しかねない」と学習。結果として、東京書籍や実教出版なども、山川の無難で無機質な記述にそっくり真似て検定を通すようになり、教科書の多様性が完全に失われた。
教科書検定制度はクソ
大学の歴史教授が山川の『詳説日本史』や『詳説世界史』の執筆陣に加わるとき、彼らは文科省の「学習指導要領」と「教科書検定」の厳しい枠にはめられる。。政治的リスクを避けるため、学術的には定説となっていても、文科省が嫌がる最先端の見解や、議論の分かれるセンシティブな記述(戦後補償、領土問題など)は自ら削るか、極めて曖昧な表現に薄める。しかし、その同じ教授(または同僚)が入試問題を作るときは「大学の自治」と「学問の自由」の砦にこもる。「教科書のあんな生ぬるい記述では、歴史の本質は分からない」とばかりに、自分が山川の執筆時にボカした、あるいはあえて書かなかった「歴史の生々しい対立軸」や「未解決の論点」をそのまま入試に出題。
結果どうなるか?山川を信じて「文字通り」に丸暗記した受験生が落とされ、教科書の行間を読み解く予備校の高度な授業や、他社の批判的な教科書を併読していた受験生が合格するという不条理な逆転現象が起こる。
難関大学(特に東京大学や一橋大学などの国公立大)の歴史の教授陣は、山川の「無味乾燥な丸暗記」や「政治に日和った記述」を非常に嫌っている。そのため、入試問題を通じて「山川の書き方じゃ歴史の現場は何も見えないぞ」というメッセージ(嫌がらせに近い挑戦状)を突きつけることが多い。
山川の『詳説世界史』では、19世紀の帝国主義や植民地支配の記述において、検定を意識して「〇〇という同盟が結ばれ、緊張が高まった」「~が割譲された」といった、主語を曖昧にした記述が目立つ。これに対し、東京大学の第1問(大論述)では、「なぜその国はその選択をしたのか、当時の国際関係における各国のエゴ(主語)を明確にして論じよ」という問題が定期的に出題。山川の教科書の文字をそのまま覚えているだけの受験生は、主語が抜けた官僚文学しか頭にないため、「誰が誰をハメようとしたのか」という生々しい権力闘争が書けずに全滅。
日本史でいえば、明治維新期の「自由民権運動」や、戦前の「昭和恐慌への対応」について、山川の教科書は文科省の顔色を伺いながら「一定の成果を上げたが、のちに弾圧された」といった教科書的で中立な、要するにどちらとも取れる無難なまとめ方をする。しかし、一橋大学などは「当時の政府の経済政策は、学術的に見れば完全に失敗だったという説がある。教科書の記述を批判的に検証した上で、あなたの見解を述べよ」といった、教科書の記述そのものを疑わせる論述問題を出題したことがある。山川を「聖書」のように崇拝している現場の高校生に、「教科書を疑え」と迫る強烈な作問。
山川の内容をもっと具体的にいうと、主語述語対応がおかしい。
1文に情報を詰め込みすぎ。
例えば、「〇〇の戦いの後、✕✕が即位し、△△の法を定めたが、これがのちに◇◇の一因となった」といったように、1つの文章に重要単語が4つも5つも詰め込まれる。
なぜ✕✕が即位できたのか、なぜその法が◇◇に繋がったのかという「人間ドラマ」が全てカットされるため、文章の意味が非常に通りにくく、読解力のない生徒は日本語として理解できずに挫折。
本的に時の政権(朝廷、幕府、明治政府)の動きを中心に描かれるため、地方史(東北、九州、四国など)や、独自の歴史を持つ沖縄(琉球王国)や北海道(アイヌ)の記述が極めて薄くなる。過去には沖縄戦の集団自決の記述のカットや修正をめぐり、大きな社会的・政治的論争に発展した実例も。
山川の用語集には、全国の入試問題を分析し、その用語が何校で出題されたかが「頻度①〜⑪」のような数字で記載されている。難関大の作問者は、他校と被らない問題を作るために、あえて山川の用語集の隅にある「頻度①(過去に1校しか出していない)」の超マニアックな単語を探し出して出題。すると山川は、次の改訂でその用語を教科書や用語集にキープ。このマッチポンプにより、高校生が覚えるべき単語は数千語規模でインフレし続けている。
山川の教科書はページ数(厚さ)に厳格な上限があります。そこに新しい用語を詰め込むため、事件の背景説明が「1文(20〜30文字)」に無理やり圧縮。
「〇〇の乱が起き、国力が衰退した」という記述。実際には、数十年におよぶ気候変動、大飢饉、増税、官僚の腐敗が重なって起きた複雑なプロセスであるにもかかわらず、山川の「文字数制限」のせいで「その乱のせいで一発で国が滅んだ」かのような、学術的には不正確なストーリー(因果関係の捏造)が受験生の脳内に刷り込まれる。つまり、受験エリートは歴史を理解できない。
それから、利権、癒着。
高校の歴史教師の多くは、何年も(場合によっては何十年も)山川の教科書ベースで授業のプリントや定期テストの問題を作っている。もし採択を東京書籍などに変えてしまうと、目次の順番や強調されている用語が変わるため、教師は自分の授業カリキュラムやプリントをすべてイチから作り直さなければならなくなる。この「面倒くさい」という現場の強力な現状維持バイアスが、山川を支え続けている。
反政策も最悪。
2022年度の高校入学者から、従来の「日本史A・B」「世界史A・B」が廃止され、日本史と世界史を融合して近現代史を学ぶ「歴史総合」という新科目の導入が義務付けられた。この新科目の本来の狙いは、まさに「山川的なマニアックな単語の丸暗記教育から脱却し、歴史の因果関係を自分で考える思考力を育てること」。しかし、現場では歴史教育の歴史上、最大とも言える大失敗(形骸化)が起きている。
山川が出した『歴史総合』の教科書も、結局は既存の日本史の記述と世界史の記述を交互に並べたような構成に。例えば「産業革命(世界史)」の次のページに「明治維新(日本史)」が来るような形。教師側も「世界史専門の先生」と「日本史専門の先生」に分かれているため、授業中にお互いの領域に踏み込めず、ただ2つの科目を高速でスイッチしながら教えるだけになり、生徒の脳内はかつてないほど大混乱に陥る。
「歴史総合」が導入されたことで、共通テストも「思考力を問う、史料を読み解く問題」にシフトするはずだった。しかし、いざ共通テストが始まってみると、平均点を維持するため、あるいは差をつけるために、結局は「歴史総合」の教科書の細かい脚注や、従来の山川的な知識がないと解けない問題が多数出題。
これを見た高校の現場は「綺麗事を言っても、結局は細かい単語を暗記させないと共通テストで点数が取れないじゃないか」と絶望し、せっかくの探究型の授業を諦め、元の「山川の用語集を使ったゴリゴリの暗記授業」へ完全に逆戻り。
思考力をアピールする見かけの裏で、「アジアの民族運動」や「戦後の冷戦期の出来事」について、出来事が起きた順番を正確に並び替える問題が出題。これは、山川の教科書の記述にある「19〇〇年、19✕✕年」という細かい数字を頭の中で丸暗記していないと絶対に解けない仕組みになっており、「暗記からの脱却」という歴史総合の理念は完全に崩壊。
さらに意味不明な展開も。問題用紙に、教科書には載っていないようなマイナーな当時の日記やポスター(史料)が大量に掲載され、「この会話文の空欄に入る組み合わせを選べ」という問題が出題。しかし、歴史の知識をいくら持っていても解けず、現場からは「歴史の試験ではなく、時間制限の厳しい現代文のスピード読解テストになっている」と猛批判を浴びた。
さらに深刻なのは、進学校を中心に「歴史総合」の授業が事実上無視されていること。受験に必要なのは、その後に選択する「日本史探究」「世界史探究」という深い知識。そのため、多くの高校では「歴史総合」の単位時間を使って、教科書は形だけ開いておき、実際は「探究(旧日本史B・世界史B)」の山川の分厚い教科書を先取りしてガリガリ暗記させる、というカリキュラムの偽装(脱法授業)が公然と行われている。
日本の歴史教育は、政府・文科省(検定)、山川出版社(利権とエコシステム)、高校の現場(保身と受験対策)、大学(学問のプライド)の4者が、お互いの足を引っ張り合いながら、最終的に「思考停止した丸暗記マシーンの受験生」を大量生産し続けているのが、現代のディープなリアル。
西園寺帝国大学 政法経学部 必修・原論 〜分厚い専門書を抱え、カップルだらけのクリスマスの街を俯きかき分け歩いていた日々を忘れない〜
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説明しよう!西園寺貴文とは、常識と大衆に反逆する「社会不適合者」である!平日の昼間っからスタバでゴロゴロするかと思えば、そのまま軽いノリでソー◯をお風呂代わりに利用。挙句の果てには気分で空港に向かい、当日券でそのままどこかへ飛んでしまうという自由を履き違えたピーターパンである!「働かざること山の如し」。彼がただのニートと違う点はたった1つだけ!そう。それは「圧倒的な書く力」である。ペンは剣よりも強し。ペンを握った男の「逆転」ヒップホッパー的反逆人生。そして「ここ」は、そんな西園寺貴文の生き方を後続の者たちへと伝承する、極めてアンダーグラウンドな世界である。 U-18、厳禁。低脳、厳禁。情弱、厳禁。



